fluctuation’s diary

理系院生の思考のゆらぎ

結局ルールを作る側が有利

今日、誘導バイトをしました。

駅から少し離れた会場だったのでその道の途中に立ち「会場はこちらです→」と書かれた看板を持って「会場はこちらの方向です」と声をだすだけのバイトです。動かざること山のごとしでした。これで1万貰えるって世の中狂ってるなと思いました。

 

「看板とスピーカーをおいておけばいいだけじゃないか。もっと安上がりにできるじゃん。なんでしないの?」

 

みたいな思考がずっと脳内を駆け巡っていました。

一人で考えても埒があかないと思い、上司に質問しました。

 

返答は、「おきたくてもおけない」でした。

なんでも、駅とか道路にそのような広告を置くのにはお金や手間がかかるらしいのです。言われてみれば確かにそれは当たり前だなって感じでした。

その「お金や手間」と「人一人を雇う労働費」を天秤にかけた結果、会社は後者の方が安いという判断を下しているということです。(もちろん人が立つことによって看板よりも注視されやすいとか、人の方が臨機応変に動けるからとかもあると思いますが)

 

これが一見滑稽なバイトの存在理由でした。

 

ロクでもない事象を解明してしまったなあ。

おわり。

 

 

とこの記事を書く寸前まではここで終わっているんです。が、書いていくうちにさらに気づきを得ました。

それは何かと言うと結局「広告を置きたいならお金と手間を払え」とルールを作っている土地所有者がこの世界では圧倒的有利だということです。土地を貸すだけでお金を貰えるし、お金を払わないならば、相手は苦肉の策を講じなければならないのです。

どうりで世界はありとあらゆるプラットフォームの奪い合いがおきているわけだ。納得。

 

これから生きていく上では、ルールに従う立場ではなくルールを作る側にうまく立ち回りたいものですなあ。

おわり。